ベルリンの壁写真館
ここでは、ベルリンの壁建設から崩壊を中心に、ドイツの分断と統一の歴史を時系列で御紹介いたします。
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1961年8月18日、武装した人民警察の監視のもと東ベルリンの建築作業員はポツダム広場の米ソ占領区域境界にLindenstrasse方面に向かって大人の背丈ほどの壁を構築した。既に8月13日の朝、東ドイツの軍部はベルリン市の東部分を西側に向かって有刺鉄線でもって道路封鎖し始めていた。 壁はますます増加する西ベルリンへの難民の波を止め構築された。 (© dpa - Bildarchiv) -
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1986年8月13日、赤く彩られた舞台から東ドイツの政治指導部が東ドイツでベルリンの壁構築25周年の軍のパレードを観覧。演台には、国家評議会議長でありドイツ社会主義統一党書記長のエーリッヒ・ホーネッカーの姿が。 (© dpa - Bildarchiv) -
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1989年9月11日、オーストリアを経由してバスでバイエルン州に到着した東ドイツ市民。幸せそうにバスの窓がガラスに連邦ドイツのパスポートを押しつけている。東ドイツ/ハンガリー国境が開いてから24時間以内に1万人を越える東ドイツ市民がバイエルン州の収容施設に到着した。 (© dpa - Bildarchiv) -
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出国を希望する東ドイツ市民が1989年9月29日、子どもと一緒に柵を越えて(当時の)チェコスロバキアの首都プラハにある西ドイツ大使館へ。大使館の敷地には、既に2500人を越える西ドイツへの出国希望者がいた。 (© dpa - Bildarchiv) -
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1989年10月1日夜、プラハの西ドイツ大使館を後にして、喜びのあまり抱きあう若い二人。1989年9月30日、東ドイツ政府はプラハとワルシャワの西ドイツ大使館に亡命を求め滞在する5000人を越える東ドイツ市民の出国を許可した。 (© dpa - Bildarchiv) -
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1989年10月7日、東ドイツ指導部は40年前のドイツ民主共和国成立を祝って、人民軍の戦車が東ベルリンを軍事パレード。東ベルリンの Karl-Marx-Alleeの政府と賓客の前にて。 (© dpa - Bildarchiv) -
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1989年10月8日、ソ連の国家及び党の最高指導者であったミハイル・ゴルバチョフ(左)が東ベルリンでの東ドイツ建国40周年記念式典へ到着した際、国家評議会議長エーリッヒ・ホーネッカーから伝統的な友愛のキスで迎えられる。 (© dpa - Bildarchiv)